みなさんこんばんは。
今日はこんなお時間ですが、感傷に浸りたい気分なのでわたしの今日の「発見」をお話させてくださいまし・・・
わたしかれこれ8年?9年?くらい万年筆を愛し続けています。
人から変な目で見られようと、万年筆を使っています。
そして少し前から、
わたしが万年筆にドはまりした理由
を考えていました。そして、今日その理由を垣間見ることができました。
言い換えると、こんなのが好きな人は、万年筆にはまるかもしれない、というお話です。
わたしは「あるもの」が好きだったんです・・・
ここからのお話は、昔話を交えたわたしの回顧録です。
「有意義な情報」は今回ありません、ご了承くださいまし・・・
万年筆の「味」
万年筆に興味がでたとき、いろいろしらべてみた当時のわたし。
いろんなところで目にしたのは、「万年筆で書いた字は味がある」ということでした。
当時は筆記具の「味」なんてなんのこっちゃ、といわんばかりの状態で、「書き味のことかな?」と思っていたような気がします。
まぁ正直万年筆の書き味にほれたのも事実なんですけどね・・・
でも、使っていくうちになんとなく、「万年筆で書いた字って、なんかいいな」と思うようになりました。
というか今日の今日まで「なんとなくいいな」と「かっこいいやろ」で万年筆をつかっていました。
でも、わたしがほれた「万年筆の味」は意外なところにあったんだ、と気づいたんです。
もともと好きなものに近い気がする
また話は飛んでしまいます。
わたしは昔からゲームとかだと、夕方が好きでした。
オレンジ色から青にかわっていく、なんとも言えないグラデーション・・・
そして淡い青からだんだんと濃紺に近づき、最後は黒くなる。
この色の変化がたまらなく好きなんです。
つまり、もともと自然の景色が好きだったんですよ。
なんでこんな思考になったかというと・・・
今日仕事の帰り道に、橋を渡っていたときの空があまりにきれいすぎて、気が付いた時には写真を撮っていました。
写真だとやっぱりちょっと感動は薄れますが、それでもとてもきれいです。
この雰囲気が、この空気が、たまらなく好きなんです。
橋をわたりながらそのときふと、
万年筆で書いた字って、
こんなグラデーションになってないか?
と思ったんです。
わたしがブルーブラックのインクを好むのもこれが理由なのでは?と。
万年筆の味、それは「色の表現」だった
そうです、わたしが万年筆を好きになった理由はたぶん、「落ち着くような、きれいな色で書ける」ことだったんだと思います。
万年筆って、どうしても性質上インクが完璧に一定で出るわけではありません。
たまにどばっと出たり、たまにかすれて薄くなったり・・・
それが濃淡になって、夕方から夜にかわる空の色に似てる気がして。
この空がすごく好きなわたしは、この「色」に惚れたんじゃないかと思ったわけです。
字がへたくそなのは重々承知していますのでシーッ!でお願いします。
そしてたぶん、「色」に惚れたからこそ、いろんなインクが使えることもわたしの万年筆好きを加速させたんだと思います。
だって万年筆以外のペンで、「月夜」とか「夕焼け」とか「山ぶどう」なんて色使わないじゃないですか。
ちなみに同様な感じで、「色」にこだわったインクのお話をぜひこちらから。
こちらはセーラー万年筆の四季織シリーズです。
好きな空の色や海の色、山の色を紙の上で走らせる。
こんな幸せ、ほかのペンじゃああんまり味わうことができません。
万年筆に最初に触れたのは、当時大学入試を控えた高校生のとき。
当然使う色は「黒」です。
だって万年筆に手を出したのも、「手が痛くなりにくい」って聞いたから。
あくまでボールペンやシャーペンの延長です。
でも次第に「青が記憶にいい」って聞いて青インクを使うようになり・・・
大学に入りバイトしてためたお金で初めての金ニブペンとして、Parkerを買いました。
そのとき買ったお店は残念ながら閉店しちゃいましたが・・・
わたしが「万年筆が好き」になった瞬間の気持ち、今なら言葉にできます。
「空の色が出てくる魔法のペン」という驚きと感動だったんだと、今になってようやくわかりました。
今日はちょっと感傷的な記事になってしまいました。
わたしにとって万年筆はなくてはならない相棒です。
その事始めはきっと、心の底から「好きな色」が出てくるペンだったことから始まったんでしょう。
ということで本日は、わたしが万年筆のとりこになるのは生まれたときから(?)決まっていた、というお話でした。
それでは、ちょっといつもと趣向の違う記事になりましたが、今日はこのへんで。
おしまい。