みなさんこんばんは。
みなさんは日記、もってますか?
小学校のころ、3大めんどくさい夏休みの宿題にはいっていた絵日記やアサガオ日記。
小学校のころはあれほどめんどうだったのに、あれから20余年、いまさら日記に思いをはせることになるとは思いもしませんでした。
どうしてわたしがこんなことを急に言い出したのかというと・・・
以前記事にした「5項目日記」(+採点システム)をあれからチマチマ続けてきたわけです。
あ、手帳を楽しく使おう、っていう記事ですね。
たのしみなことを週1絶対盛り込もう、という内容でした。
くわしくはこちらへ。
その5項目日記をつづけつつ、アマゾンプライムの無料配布の本を読んでいたんですよ。
その中で、こんな本を見つけました。
アマプラ会員の方はKindleアプリで(2020年10月現在)今なら無料で読めますからぜひ。
わりと面白かったです。
天才たちの・・・??
ライフハック・・・???
なんのこっちゃ、とは思ったんですが、わたしライフハックっていう言葉が書いてあるとつい手が伸びる性分でして。
読んでみるとこれが案外面白い。
古くはアインシュタイン、ナポレオンなどの中世~近代の偉人たち、近くだとトランプ大統領、ビルゲイツ、マークザッカーバーグら現代の
偉人たちの習慣が「ライフハック」という
名目で紹介される本
です。
「ほうほうなるほどなぁ!」と思ったものの一つに、ユリウス・カエサルの習慣がありました。
それが、
自分のことを「他人」として日記・手記を書く
ことでした。
そう、普通の人なら
わたしは今日ハンバーグを食べた。
と書くところを、
ヤマモトは今日ハンバーグを食べた。
と書くんだそう。
あ、ヤマモトさんに他意はないので気にしないでください。
これのいいところとして紹介されていたのが、
自分を「他者」と見立てた独白は心理的なハードルが低い
つまり、本当の自分をちゃんと客観的に表現しやすいんだそうです。
たとえばわたしが、もう4本も5本もあるのにウン万円の万年筆を買ったとしましょう。
たぶん「わたし」が主語だと、「これは自分への投資だ」とか「いつもがんばっている自分へのご褒美だ」とか、なにかと言い訳をすると思います。
いや、します。確実に。
これを、
山本は新しく3万円の万年筆を買った。
と日記に書いてみる。
ちょっとみなさんもやってみてくださいよ。
今日なんか、べつに必要でもなかったのに買っちゃったもの、たとえば帰りにコンビニで缶ビール買ったとか、スイーツ買っちゃったとか。
これを、
わたしは今日帰り道にスイーツ・缶ビールを買った
ではなく
○○(あなたの名前)は今日帰り道にスイーツ・缶ビールを買った
と思い直してください。
ね、このあとに続く言葉に違いがうまれませんか?
「わたし」としたほうは、「今日もがんばった自分へのご褒美♡」って続きません?
でも自分の名前を客観的に書いたほうは、「特別必要でもない、言い換えると、浪費だった。」とか書けません?
いや、書くこと自体はどっちのパターンでもいけるんです。
いけるんですけど、書く時のストレスがすごく違いませんか?
これもしかしたら「自己採点」の客観視にすごく役立つのでは・・・??
と思いまして、日記に思いをはせたわけでございます。
自分の行動ってなかなかどうして「ひいき目」で見てしまう。
そりゃそうですよね、認知的不協和うんたらかんたらです。
気になる方はググってください。わたしもカッコつけてそれっぽい言葉を書いてみただけなんで。
たぶん認知的不協和って、自分が「これはちゃうなぁ・・・」って心の底で思ってたとしても、実際の行動をなんとか正当化しようとする~みたいなんだったと思います。
じゃあ、行動そのものを「他人のモノ」として脳をだましてしまえば、正しい判断がくだせるのではないか??
ということだと思います。
ほら、なんかアニメの主人公とかが、
「考えろ・・・考えるんだ・・・!!○○、頭をつかうんだ!!!」みたいなん。
あれと同じだと思うんですよ。
最近見たのだとポケモン剣盾の炎ジムのカブさん。ダンディで好き。
あれって、「考えろ!」って「他人からの命令」ですよね。
他人からの命令の形をとって自分を動かそうとする・・・
これと似たような雰囲気を感じます。
この考え方、いろんなところに活用できるとは思うんですが、わたしの鳥頭では「手帳の採点システムに組み込もう」くらいしか思いつきませんでした・・・
もしもいいアイデアとか使い方を思いついた方がいらっしゃれば、ぜひコメントへ!
それでは、今日はこのへんで。
おしまい。