そもそも手帳術って存在しないのでは・・・【手帳・使い方】
どうも、わたしです、こんばんは。
いつもどんな感じでブログ書いてたかもう忘れてしまって早幾星霜。
まぁまったり行きますよまったり。
さて、本日は
そもそも手帳術ってこの世にないのでは?
というお話です。全方面に喧嘩売っていくスタイルで書いていくわけです。
あれ?見たことあるぞこの手帳・・・
今日ね、仕事終わりにちょっと時間があいてしまったので、ぼんやりと本屋に行ってきたんですよ。
そこで、〇〇な手帳術!という本をまぁぼんやりと、読むでもなく見るでもなくしていたわけです。
手帳とか文房具が趣味ってすなわち、目的もなくぼんやりと手帳を見に行っちゃうっていう性があるわけで。
そこで、たとえばバレットジャーナルだったりシステム手帳だったり、メモだったりノートだったりの使い方、How to本がたくさんあったんですよね。
そういうのを見ていて、そして立ち読みしてみて、
あれ?なんかこういうの知ってるぞ?
っておもってしまったんですよ。つまりデジャブです。既視感ってやつです。
あれ?よく見たらジブン手帳の構造ってわたしA4のシートでつくったやつと超似てるな、とか。
いや、わたしジブン手帳初見だったんですよ、見たときびっくりしました。
なんというかこういうのを見ちゃうとこう、
人間の想像力ってたかが知れてるんだな
みたいな気持ちになってしまって。
手帳「術」ってなんなのか
でも、想像力ってゼロからイチをつくるだけじゃないじゃないですか。
たとえば空気を「冷やす」機能を作った人がいて、
空気を「流す・送る」機能を作った人がいた。
この「冷やす」と「送る」をガッチャンコした人がいて、その人がクーラーをつくった、みたいな。知らないですけど。
こういうふうに、今あるものとか考えていることを「なにかべつのアイデア」とガッチャンコすることもきっと想像力の産物なんだろうな、と。
つまり何がいいたいかというと、
「手帳術」通りにするのが正解じゃない
ということですよ。
たとえばわたしはシステム手帳でスケジュール管理とか絶対わすれちゃいけない(けど忘れそう)なことのメモにつかったりしています。
が、一方で、測量野帳を使ってバレットジャーナル(+なんでも貼り付けるメモ帳+アイデアノート)として使っています。
だれも「バレットジャーナル」としてつかっているノートは「バレットジャーナル」以外でつかっちゃだめ!って言ってないですし、「情報は1冊のノートにまとめ」ないといけないなんて法律で決まっているわけでもないんですよ。
両方とも素晴らしい本ですし、両方ともものすごく学びがあります。
が、その2つの「お?これはいいぞ!」ってところだけをピックアップして、自分がもっとも使いやすいように「ガッチャンコ」してもいいんじゃないか?と。
それに自分の使いやすい方法を足してもいいんじゃないか?と。
手帳術は存在しない。存在するのは・・・
手帳術っていうのは「著者が考える最強の手帳」なわけで。
そのとおりにしたところでわたしたちにバチっとハマるとも限らない・・・
じゃあ、そもそもの話、「わたしに当たる」手帳術って、この世に「わたし」以外知ってる人いないのでは??と。
この世に存在し、
書店で買えるのは「手帳のアイデア」
だけなんじゃないかな?と。
そういったアイデアを自分のものとしてしっかりと取捨選択して、「これは使う!」「これは使わない!」と切り分けていく。
それが、本来の「手帳術」なんじゃないかな??
とおもったわたしでした。
さて、今日はこの辺にしておきましょう。
ただの日記になっちゃったけど、ブログってこんなもんでしょ?
おしまい。